42章 初夏の望月またここで
「あ──っ、もう。走りにくいなあ!」
今にも躓きそうだよ。もしもメーディラさんの選んだドレスを着てたらどうなったことか。
まさかこんなことになるなんて全然予想してなかったけど。なんで私が追いかけられるの?
しかもさあ、あんな子供が一国一城の主だし。この国って一体どーなってるの。
それに、酔っ払いなのになんであの人あんなに足が速いの!? もしかしてほんとは酔ってない?
でもそんなことよりルシードさん、大丈夫かな。あの時は行けって言われたからここまで来たけど。
レイもどこか行っちゃってるしなあ。今、どこで何やってるんだろう。ロクでもないことな気が大いにする。
ろくなことはやってないだろうけど。この考えはあながち外れてなさそうな気がする。
それに今日はいろいろと……思い起こしてみればハードだったなー。
ようやく皆と今日のお昼に再会したのに。もう何日か前のことみたいに思えちゃうよ。
しかもそれも束の間のことでキュラがさらわれたでしょ。その時私はレイに強引に引っ張られて後を追うことになっちゃうし。
霧の中にあったお城の中でルシードさんとあの危険な人と会って。
雷で空けた落とし穴から飛び降りてみれば攫われたはずのキュラが暴走しちゃってたし。
それにほんとにもうこれで終った、って思ったらこのドレス着せられてお城に行くでしょ。
しかも私のせいで追いかけられるし。しかもあのおこちゃまが王様やってることが判明した。
まだ靖を王様にたてる方がマシだよ。少なくとも常識とモラルは持ってるもん、あのチビよりは絶対に。
ああ見えて、細かい所が靖にはあるし。バカにされたら相手をバカに仕返してそれで終わりにするよ。
だけど今でもあの時の事思い出したら腹の立つ。王様の力使ってやることがこれ?
それにしても、私とレイってもうどっちが巻き込んでるんだかなって感じ。
私もレイを巻き込んじゃって、もう潔く責めることもできないし。
「はぁー、疲れたっ」
もう走るの限界だよ。私は肩で息をしながら土の上を歩くことにした。
進む先には平坦な土の道。お店も民家も振り返らなきゃない。
普段アスファルトとかブロックの上を歩いてる足じゃ滅多に踏まない土の道。
人の利用が少ない道は整理されてない。手が行き届いてないけど、いいな。
本当に、異世界なんだなあ。生えてる草まで日本のとは違ってみえる。
お母さんの実家は田舎にあるけど、土の道は水田の近くでしか見かけなかったのに。
文明の発達が何世紀かずれてるのかな。ブロックが敷き詰められてるのは人通りが盛んな場所だけ。
通りの裏側を少し進むとぴっちり敷き詰められたブロックが急に途切れてたっけ。
そのことがここって日本じゃないんだ、って私に思わせた。道路の標識も白いラインも引かれてない。
車もバイクも、自転車だって見かけない。でも人の活気づきでは勝ってる。
夜中なのに、よく耳につく騒音が聞こえない。あるのは木々のさざめきと虫の鳴き声くらいで。
あ。酔いどれさんがいない。もうずっと先にいっちゃってるのかな。私、立ち止まっちゃってるし。
でもあの人、どこに行こうとしてたの?
私がカースさんの屋敷に帰ろうとしてることを知ってるわけないんだよね。今になって気づいたけど。
ううーん。あの人はもう姿が見えないし……となると、レイを待つしかないっか。
どう考えたってここの土地なんて知らないし。地図をもらったところでちゃんと帰れるのかの確証もないんだよね。
ここは焦らず騒がすおとなしく待つほうが良いよね。私はあたりを見渡して一本の木に気づいた。
大きな何も葉っぱもついていない木。今は昼間の気温からすると春ぐらいのはずなのに。
珍しいなあ。春ってどの木も葉っぱか花を咲かせてるんじゃないの?
私はその木が少し気になって近づいた。枯れてる、ってわけじゃなさそうだけど。
「ふわぁぁぁ……なんか眠いなぁ」
目に映る風景がぼやけて見える。日が落ちてから城下町を通った時はもう灯りがともされてたっけ。
今だいたい何時ごろなんだろ。あ、星が綺麗だなぁ。空を見上げてそう思った。
私は大樹の根元近くに座りこんで改めて星がよく見える夜空を見上げた。
これで満月だったらなー。今日が新月なのがもったいない気がする。せっかく晴れてるのに。
空って見上げればどこにでもあるものなのに、結構忙しくてあんまり見上げることないんだよね。
……やっぱり、すごく眠い。星の光もぼやけて見える。まぶたが重いよ。気を抜いたら寝ちゃいそう。
『私に、力を』
何の力?
『あなたの魔力をもって、解放を』
どうして?
『均衡を崩さない為』
何の均衡?
『 』
そうなの?
『どうか、私に力を』
うん。
『ありがとう。あなたに……を』
え? 聞こえないよ。
「間抜けも良いところだな」
闇通りを抜け、枯れた大樹の前を通りかかったところで清海を見つけた。木に背を預けて眠りこんでいる。
呆れてそう呟いてしまう。無防備だ、いつ人さらいに連れて行かれてもおかしくないこの国でこんなことを。
先王の時代からこの国は荒れていたとはいえ。じいさんが先代の補佐について少しはまともになったかと思えば。
急死して王位継承者第一位の皇子が出奔するわじいさんは王の補佐の座を魔帝に奪われるわ。
じいさんから魔帝に王を補佐する奴が変わっても大して変化は無かったが。
どれだけ上が良かろうと下へいくほど物事は捻じ曲がって伝わる。
それにしても、血まみれの俺を相手によくもこいつは平然としていられるものだ。
世界の常識や価値観がないせいなのか。箱入り娘だろうが何だろうが普通の価値観くらいあるだろう。
あいつを魔者と知って尚共にいようとする。疑問を感じず。ことの深刻さを理解していない。
たとえ昨日まで仲が良くとも正体を知れば態度を豹変させ、わが身可愛さに他者を殺そうと牙を剥く。
それが人間が魔者に対してとる当然の行動だ。
すべてが穏やかに和解することができるわけでもない。相手が己と違えばそれだけで敵とみなす。
こいつは裏切るとかそんなこととは無縁に育ったんだろう、こいつの仲間も。
例え誰が何を言ってもわからないだろう。
そいつは危険だと言っても。そんなことが造作もなく思い浮かんだ。俺には程遠いものだが。
清海が呑気にうめいた。この分だと起こさない限り起きそうにないな。
「起きろ」
肩を揺さぶっても起きない。夢でも見ているなら眠りは浅いはずだ。
『少しばかり私に時間を下さいな』
突如として上方から声がし、俺は空を見上げた。あの声は何処から。
『この子と貴方に見せましょう。十五の夜にひとひらの幻』
幻? そんなものは必要ない。だが空を見上げても声の主は見当たらない。
「誰だ」
『月光樹に宿る者』
それ以来、声は途絶えた。月光樹というのは満月の夜にのみ花を咲かせるあれか。
この木がそうなのだろうか。だがこれは枯れているように見えた。月光樹は常緑だ。
どの季節も葉がついている樹木が枯れ木、ということは封印でもされていたのか。
そしてあの声は大樹に宿る精霊、ということだろうが。年輪を重ねた物には精霊が宿る。
木に宿る精霊は木と一心同体。精霊が封じられ、結果枯れ木となっていたわけか。
「んー……あれ? レイ」
起きたか。今まで起きなかったのはさっきの声の主がこいつに何かしていたということだな。
「……おはよー」
「寝ぼけるな」
ふえ? 何のこと。そう言いかけて言葉が喉のあたりで止まった。まわりは暗いし、太陽が見えない。
それに目の前にはレイがいる。砂煙の中で行方を晦ましてからずっと姿を見なかったレイが。
そのレイが追い付くくらい、私は転寝してたの? てっきりもう朝だと思った。でも、朝になってたらやばいよね。
明日にはこの国を出発して次の目的地に向かうわけだし。今日限りでレイともお別れなんだよね。
でも考えてみると不思議だなー。もう会わないだろうな、と思ってたらばったり出くわすんだもん。
気づいけば強引に巻き込まれてたりして、ようやく災難が過ぎたと思えば延長線があったし。
それに結局なんであの人たち追いかけてきたんだかなー。たかだが一人にあそこまでやる?
おかしいよね。この国のシステムがよくわからんない。わかりたくもないけど。
「……?」
起き上がろうとして、背中に何か堅いものがあたって驚いて振り向くと背後に木があった。
あ、そういえばこの木を見つけて近寄ったところから記憶がない。
でも、なにか忘れてるような。夢でもみてた気がする。それを忘れたのかな?
釈然としないけど、そう考えておこう。こういうのは悩んだって思い出せるものじゃないし。
それよりは明日のことを考えないと。ようやく明日この国を出るんだし。
「そういえばさ。レイとも明日で、さよならするんだね」
ほんとにこの数日、なにかとよくレイと一緒に行動していた。私の意思でじゃなかったけど。
もしかしたらまだ今夜何かあるのかも。いろいろと起こるからなー。レイといると気が抜けないよ。
でも、意外と優しいところもあるんだよね。案外面倒見良いって言うか。なんか、似合わない。
殺気もなしに途惑いもなく無情に殺す殺人鬼なのに。最初はただ危険だとしか思うことなかったのに。
そういえば。私いつ喉元に剣突きつけられるかって思ってたけど、一度も突きつけられたことはなかったね。
それは単に運が良かっただけのことかも知れないけど。年齢をきいた時は驚いたなー。一つ違うくらいなんだもん。
でも。そんな騒動もあったけどそれも多分もうないよね。うん、そうであって欲しい。
明日にはもう別の場所にいるのかと思っても実感わかないなー。次から次へと、の繰り返しで。
これでさよならしたらさすがにもう会えそうにない。役目を果たしたら帰らなきゃいけないし。
この国を通ることがあったとしても、もうレイやカースさんたちと関わることもない気がする。
「レイとまた会うことがあるかな?」
もう二度と会うことがなかったら悲しいのかな。なにも感じないってことだけはないにしても。
「いずれまた会うことになる」
意外なことにレイが私の呟きを聞き逃さなかった。そのことに私は少し目を瞠った。
「ほんとに?」
「こっちの都合上な。つくづく縁のある……」
都合上って何なのか、って思ったけど聞かないでおいた。聞いても私にはわからないだろうし。
「だったら、また会う時は満月だったら良いな。今日は月が無いから」
今日は朔夜で月がないから、今度会うときは満月だと良いな。そのときには皆と離ればなれじゃなきゃ良いけど。
『初夏の望月又ここで……』
あれ。私は目をパチパチした。さっき、聞こえた声……どこかで聞いたような。
でも、どうして。この場所には今、レイと私しかないのに第三者の声がしたんだろう。
「帰るぞ」
そう言いレイはくるりと私に背を向けた。でも私はすごく眠かった。
これじゃ帰るまで睡魔と戦わないと。でも勝てる自信ないなー。
私は目をこすりながら立ち上がった。うー……頭がちょっと重い。
「あ、ルシードさんは?」
てっきりレイがいるからルシードさんもいるのかなー、と思ったんだけど。いない。
あそこってすごく複雑な造りなのに、旅の傭兵のルシードさんに帰り道がわかるのかな。
「まだあの通りにいるだろうな」
ことなげもレイは言った。相変わらず他人はどうでも良さそうに聞こえる。
「ルシードさん迷っちゃうよ。待ってあげないと」
私はあの酔っ払いの後を追いかけて抜けたから良かったけど。
途中何度も別れ道があって、覚えようにも覚えれるもんじゃなかったよ。
「一度来ることが出来たのなら引き返せるだろう」
そう言ってレイは歩き始める。無情だなあ。
「冷たいよ、レイ。別にいいでしょー、待つくらい」
「お前が行ったところで迷うだけだ」
顔だけ振り向かせてレイはそう言った。
あーあ、わかってないないなぁ。
「別に私一人で行くとは言ってないよ。レイも一緒にね」
私一人が引き返したところで帰り道なんてわかりっこないし、ルシードさんに叱られそう。
ここは絶対、レイも連れてじゃないと。そうじゃないと私とルシードさんが戻れるはずないよ。
私はなんとかしてレイを引き戻せるところまで引き戻してルシードさんを待った。
その頃旅の傭兵は、一つのある存在に終止符を与えていた。
断末魔は薄く人あらざる者は最初から存在していなかったかのようで。
操られていた死人の屍の他には何も残ることはなかった。
『――――!』
「さっき何か音しなかった?」
「風の音なら聞こえたな」
それはさっきからそうだけど。いや、そういう事じゃなくて悲鳴みたいな。
叫び声が聞こえたわけじゃないんだけど、ほんとに何か大気の動き以外で。
「ま、いっか……何も出てこないし」
「来たな。これで気が済んだだろう」
ぽつりとレイがそう言って踵を返した。
「え? ちょ、レイ……あ」
遠くからルシードさんが歩いてきてる。私はルシードさんのところへ駆け寄った。
ルシードさんは私を見つけると眉を寄せた。
「どうした?」
「ルシードさんを待ってたんだよ」
そう答えるとルシードさんは小さくそうか、と言った。
私はルシードさんの横で特に何か話すわけでもなく、前を歩くレイの後について帰っていった。
ようやく、長かった1日にも終りが告げられた。
NEXT
|